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東京地方裁判所 平成6年(ワ)13407号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

和田衛

市村英彦

被告

日新火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

縄船友市

右訴訟代理人弁護士

小河原泉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金三八九万九八八〇円及びこれに対する平成六年七月一五日(本件訴状送達日の翌日)から支払済みまで年六分(商事法定利率)の割合による金員を支払え(仮執行宣言)。

第二  事案の概要

本件は、原告が、原告所有の被保険自動車を運転し追突事故を起こし、原告の車両が損壊したので、被告との間で締結していた自家用自動車総合保険契約(SAP保険)に基づいて、車両保険金の支払いを請求したところ、当時原告が運転免許証の更新を失念し運転免許が失効していたため、法令により定められた運転資格を持たないで被保険者が運転した場合の免責条項(自家用自動車総合保険普通保険約款第五章車両条項第四条)に該当するとして、右保険金の支払いを拒絶された。そこで、原告が被告に対して右保険契約に基づいて右保険金の支払いを請求した事案である。

一  争いのない事実等

1  原告は、被告との間で、平成五年九月三日、次の内容の自家用自動車総合保険契約(SAP保険、以下、「本件保険契約」という。)を締結した(自家用自動車総合保険普通保険約款〔以下、「本件約款」という。〕の内容は乙一号証のとおりである。)。

(一) 担保種目及び保険金額

車両保険 金五〇〇万円

対人賠償保険 一名・無制限

対物賠償保険 金一〇〇〇万円

搭乗者傷害保険 一名・金一〇〇〇万円

(二) 被保険自動車(以下、「本件自動車」という。)

登録番号 練馬三三や三〇三三(原告所有)

(三) 車両保険の填補責任

被告は、衝突・接触・その他偶然の事故によって被保険自動車に生じた損害を、車両条項及び一般条項に従い、被保険者(被保険自動車の所有者)に対して補填します。

(四) 車両保険の免責条項(本件約款第五章車両条項第四条、以下、「本件免責条項」という。)

被告は、次の者が法令により定められた運転資格を持たないで、または酒に酔ってもしくは麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー等の影響により正常な運転ができないおそれがある状態で被保険自動車を運転しているときに生じた損害を填補しません。

(1) 保険契約者、被保険者または保険金を受取るべき者、以下、省略。

2  原告は、被保険者であるが、保険期間中である平成六年一月一九日、本件自動車を運転して、練馬区南田中一丁目一五番先路上において追突事故(以下、「本件事故」という。)を起こした。本件事故により、原告の車両は損壊し、その修理費に金三八九万九八八〇円を要した。

3  原告は、本件事故当時、原告の運転免許証の更新手続を失念し、運転免許証の有効期間を約一八日間経過していた。

二  争点

原告は、本件免責条項にいう「法令により定められた運転資格を持たない」者に該当するかどうか。

(被告の主張)

自動車保険約款は、日本の法体系の中に組込まれ、解釈もその体系において理解されるべきで、日本における自動車の運転資格について規定のある法令は、道路交通法(以下、「道交法」という。)の運転免許制度と労働安全衛生法六一条である。したがって、本件免責条項でいう「法令により定められた運転資格」は右法令による運転免許の有無や効力がそのまま連動してくるものであり、道交法一〇五条によれば、運転免許は、運転免許を受けた者が運転免許証の更新を受けなかったときは、その効力を失うと規定しているのであるから、原告は、道交法上無免許者であり、「法令により定められて運転資格を持たない」者に該当する。

そして、原告の主張は次の点からも相当でない。

1 自動車の運転免許は、法律によりその制度が確立しており、その制度上から無免許運転を形式的免責事由として規定することが可能であるだけでなく、免許制度が警察許可行為であり、免許証の交付という形式があって初めて免許の効力が生じるのであって、実質的な運転危険ということを問題にすれば、運転免許証交付前の運転や、実技的に運転操作は十分でありながら識字能力が劣るため免許を取れない者の運転も無免許運転に該当しないとの議論の余地がでてくることとなり、免許制度の根幹を揺るがすことになりかねず、実質的な運転危険を免責事由とすることは妥当でない。

2 自動車運転免許は当初から有効期間が定められている定期免許であり(道交法九二条の二)、有効期間が過ぎれば更新を受けないと、その免許は効力を失う(同法一〇一条、一〇五条)のであるから、同法九七条の二に定める免許証更新の特例が適用される場合においても、約款にいう無資格運転に該当する。

3 失念して運転免許証の更新を怠り、免許が失効したことに気付かないで自動車を運転した場合には、同法一一八条一項一号(無免許運転)による処罰を受けないが、これは同条項が故意犯に限定しているからである。また、同法九七条の二に定める免許証更新の特例は、運転免許のための試験を再度受け直すことを前提とした上で、運転試験の一部を免除するというだけの規定で、期限到来により失効した運転免許を復活させる規定ではなく、無免許であることには変りはない。そして、有効期間経過の日数の長短に比較して無免許運転の危険性及び反社会性の濃淡を段階的に区分することは許されず、運転免許制度に連動するシステムとして設けられている免責規定の解釈においても、無免許の態様を考慮に入れる余地がない。

4 無免許運転は酒酔運転と並んで、最も運転危険の高度な違法行為であり、自動車保険がこのような違法行為を容認、または促進する機能を果たすことのないよう歯止めをかけることが、この保険に対する社会の信頼をつなぎとめるために必要不可欠であり、そのためにも免責規定が設けられた。したがって、本来なら自動車保険のすべての給付について、無免許運転免責規定を設けるべきであるが、賠償責任条項については、被害者救済の要請のために保険約款に例外を認めて、無免許運転免責規定が昭和四七年から削除されるに至った。これに対し、車両保険は被害者救済が問題とならず、被保険者自身の帰責事由だけを問題にすれば足り、原則的な考え方に従って無免許運転を免責とすることに特に不合理性はない。

本件は、車両保険である以上、本件免責条項の意義については道交法上の解釈と同一に解釈するのが相当であり、制限的に解釈すべき特段の事情は存在しない。

(原告の主張)

約款にいう「法令により定められた運転資格を持たないで」には、原告のように、運転免許証の更新を失念した者が、期間の経過に気付かないで有効期間経過直後に自動車を運転した場合は含まれない。けだし、

1 免責条項が、無免許運転に免責される旨を定めたのは、一般に、無免許運転の反社会性と、事故発生が偶然性に欠けることに着目して、保険制度濫用の弊害を除去するためであるとか、無免許運転の危険の増加の蓋然性が極めて大きいためであると解されている。したがって、本件免責条項により保険会社が免責される場合とは、当該運転の反社会性が大きく、かつ事故の偶然性が欠如する場合、あるいは危険の発生・増加の蓋然性が極めて大きく、当初保険者が想定した危険率に影響を及ぼす場合に限られる。

2 運転免許証の更新を失念し、自動車を運転してしまうという行為は、社会的にしばしば見られる現象であり、一般の無免許運転に比較して反社会性が著しく低いことは明らかである。また、道交法上、免許の有効期間内に更新手続を怠った場合であっても、期間経過後六か月以内であれば、適性試験のみで免許を再取得でき(同法九七条の二第一項二号)、他の者と全く別異に扱っており、免許の失効に気付かないで自動車を運転しても処罰の対象にされない。原告は、運転免許証の更新を失念し、有効期間が経過したことに気付かぬまま運転し、期間経過後わずか一八日後に本件事故を惹起し、その直後、運転免許を再取得したもので、被告を免責させ、損害を全て原告に負担させねばならないほどの反社会性はない。

3 運転免許証の更新を失念したことは、運転者の運転能力及び運転技能の適切さに疑義を生じさせることはないから、運転能力の点では道交法上有効な運転免許を有している者の場合とは差異はなく、したがって、事故発生の偶然性という点で、有効期間内に更新した場合と事実上異なる点がないことは明白である。

4 無免許運転における危険の発生・増加について検討すると、運転者の運転技能の適切さに疑義を生じさせることはないから、危険の増加は全くない。

5 最高裁昭和四四年四月二五日(民集二三巻四号八八二頁)は、保険会社が免責条項により免責されるための要件として、「(道交法等が)危険の発生あるいは増加の蓋然性が極めて大きいものとして自動車の使用または運転を禁止しているような重大な法令違反行為で、右行為が罰条に該当し、かつ、右法令違反と事故の間に因果関係のある場合に限り、免責とすることを定めたものと解するのが相当」と判示している。右判決は、昭和三二年当時の免責条項の「法令に違反して運転せらるるとき」との文言の解釈に関するものであるが、現行約款の「法令により定められた運転資格を持たないで」の適用においても、同様に処罰規定の存在と因果関係が要件になるといえる。

本件については、免許が失効していることに気付かないで運転した場合は、前記のとおり道交法上処罰規定は設けられていないし、また、原告の免許が失効していたことと本件事故との間に因果関係も認められないのであるから、被告は免責されない。

6 一般に約款の解釈方法として、制限的解釈、不明確準則、作成者不利の原則があり、右原則に基づいて約款の免責条項の「運転資格を持たないで」を解釈するならば、免許失効後の運転が右条項に含まれるか否かが一義的に決せられない以上、そのリスクは不明確な条項を作成した保険者が負うべきであり、被保険者にリスクを転嫁することは許されない。

7 車両保険金支払い請求において、運転者の故意の有無につき実質的判断を要求しても、そもそも本件のようなケースはさほど多いとは考えられず、保険会社の業務に重大な支障をきたすということはありえないのであるから、保険者の責任の有無を決するにあたり、画一的処理の要請を重視することはできない。

第三  争点に対する判断

一  本件保険は、主として自動車事故の際における損害を填補するためのものであるところ、自動車交通に関しては道交法等の法令によって規定されているから、自動車事故に関する本件約款も当然に右法令を前提として規定されているものと解される。本件約款を掲載した「ご契約のしおり」(乙一号証)にも、「約款用語のご説明」と題し、「法令により定められた運転資格を持たない場合(車両条項第四条)」の説明として、「たとえば、次の方が自動車を運転されている状態をいいます。 (1) 道交法などの法令に定められた運転免許を持たない方 (2) 運転免許効力の一時停止処分を受けている方 (3) 運転免許によって運転できる自動車の種類に違反している方 (注)免許証記載事項の変更届出中、紛失などによる再交付申請中または免許証不携帯中の方は、運転免許を持たない場合には該当しません。」との記載(一八頁)がある。

したがって、本件免責条項にいう「法令により定められた運転資格」とは原則として道交法等の解釈と同一に解釈するのが相当である。但し、かかる解釈をすることにより保険加入者の意思に反して保険契約者、被保険者、保険金を受取るべき者に著しい不利益を与え、不合理な結果を招くような特段の事情が認められる場合には、例外的に本件免責条項を制限的に解釈するのが相当と解する。

二  そこで、まず、道交法の規定をみるに、同法八四条一項は、「自動車を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許を受けなければならない。」と規定し、運転免許は、運転免許証を交付して行う(同法九二条一項)から、免許申請者が免許証を受領して初めて運転免許の効力が生じることになる。運転免許証には、有効期間があり(同法九二条の二)、有効期間の更新を受けようとする者は有効期間が満了する日の一か月前から有効期間が満了するまでの間(以下、「更新期間」という。)に必要な適性検査を受けるなどの手続を受けなければならず(同法一〇一条)、運転免許証の更新を受けずに更新期間を経過した場合には受けていた自動車の運転免許はその効力を失う(同法一〇五条)。

したがって、有効期間経過後の自動車の運転は、無免許運転すなわち本件免責条項の被保険者が「法令により定められた運転資格を持たないで」被保険自動車を運転しているときに該当するものといえ、道交法の解釈に従えば、原告も本件免責条項に該当することになる。

三  次に、本件において、例外的に本件免責条項を制限的に解釈すべき特段の事情が認められるかについて検討する(原告は、無免許運転が反社会性が高く、事故発生の偶然性を欠き、事故発生の危険性の増加の蓋然性から極めて大きいことから、本件免責条項として規定されているもので、右趣旨からすると、運転免許証の更新を失念した者が、更新期間の経過に気付かないで運転免許証の有効期間経過直後に自動車を運転した場合には、「法令により定められた運転資格を持たないで」自動車を運転した場合に該当しない旨主張する。)。

本件は、原告が運転免許証の更新を失念し、そのことに気付かずに本件自動車を運転していた場合であり、確かに、無免許運転の典型的な場合(例えば、これまで、運転免許を取得したことがなく、実際の運転経験もそれほどなく運転技能に劣る場合)と比較すれば、原告の運転行為の反社会性、事故発生の偶然性、事故発生の危険性は一般的に低いものといえる。

しかし、(一) 道交法上無免許運転といえるものを、さらに、反社会性、事故発生の偶然性、事故発生の危険性などの側面から実質的に区分して、「法令により定められた運転資格を持たない」者かどうかを判断すべきとすると、その基準となるべき反社会性の程度、事故発生の偶然性の程度、事故発生の危険性の程度自体が極めて曖昧になること(そもそもかかる抽象的な基準を設定すること自体が不可能であろう。)、(二) 原告は、運転免許証の更新を失念し、有効期間経過後まもなくそのことに気付かずに運転した点を殊更に強調しているが、同じく運転免許証の更新を失念し、有効期間経過後に自動車を運転した場合を見ても、例えば、更新を怠ることを知りながら運転した場合とを比較すると、両者の差異はおそらく交通規範に対する意識(原告のいう反社会性に相当するものであろう。)の違いがあるものといえようが、それだけで本件免責条項の適用の有無を決する程の差違といえるものであろうか、また、免許証の有効期間経過後まもない時期とかなり経過した時期(もちろん同法九七条の二第一項二号の適用のある六か月以内の時期)との差異は本件免責条項の適用の関係でどれほど違いがあるものといえるのか、そして、右時期とは具体的にいつまでのことをいうのか、非常に不明確であって、実質的判断によったとしても基準が極めて曖昧なままであること、(三) 保険制度は、保険事故に対して迅速的確に保険金給付がなされることを保険事業の健全な運営として社会から期待されているものであり、そのためには画一的な処理の要請が必要であるところ、右のような極めて曖昧な基準を設定することは右要請に応じられなくなるおそれが強いこと、(四) 運転免許証の失効後の運転が道交法上無免許運転に該当することは一般人にとっても明白であり、本件免責条項にいう「法令よりに定められた運転資格を持たないで」を道交法の解釈と同一に解釈しても何ら不明確な点を生じさせるものではなく、むしろ一般の保険加入者の認識と合致するものと考えられること、(五) 本件のような無免許運転は、道交法一一八条一項一号(無免許運転)の罰則の適用を受けないものであるが、これは右規定が故意犯に限定しているためであり、道交法の趣旨、目的と本件保険の趣旨、目的の違いを考慮すれば、右罰則の適用の有無で本件免責条項の解釈を異にすべき理由はないこと、(六) 車両保険においては、偶然な事故により被保険自動車に生じた損害を填補することに目的があり、一般被害者の救済という点を考慮する必要がないので、一般に悪質といわれている無免許運転を免責条項に加えても不合理な結果を生じるものではないこと、(七) 最高裁昭和四四年四月二五日の判例は、保険契約者の被用者である運転手が酒に酔って正常な運転ができないのに自動車を運転して事故を起こした場合に生じた損害について、昭和三二年当時の自動車保険普通保険約款(旧約款)三条一項但書(当会社は下の事由に因りて生したる損害に対して填補の責に任せす 一 保険契約者、被保険者、保険金を受取るへき者又は此等の者の代理人〔法人の理事、取締役其の他之に準すへき者を含む〕若は保険の目的に関する使用人の悪意又は重大なる過失但し運転中に於ける運転手又は助手の重大なる過失を除く)と四条四号(当会社は下の場合に於ては其の間に生したる損害に対し填補の責に任せす 四 保険の目的か法令又は取締規則に違反して使用又は運転せらるるとき)の各規定の趣旨及び両規定の関係につき判断したものであって、本件とは事案を異にするものであり、右判例が示した基準が本件にも直ちに当てはまるものとはいえないことなどの諸点を考慮すると、本件において、本件免責条項を道交法の解釈と同一に解釈して、保険者を免責したとしても、保険加入者の意思に反して保険契約者、被保険者、保険金を受取るべき者に著しい不利益を与え、不合理な結果を招くような特段の事情が認められるものとはいえず、制限的に解釈すべき理由はないので、原告の主張は採用できない。

したがって、本件は本件免責条項に該当するものであり、被告である保険者は、本件保険契約によって保険金を支払う義務はないものといえる。

四  よって、原告の請求は理由がないので、主文のとおり判決する。

(裁判官佐藤真弘)

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